私もまたポップ中毒者である

私は人様の髪を切り、その散髪料を糧にするという仕事を生業にしている。
しかも、たった一人で20年あまり営業しているので、極めて緩やかな仕事場である。

今日は定休日なので、買い物のために朝から西へ東へクルマを走らせた。
車内のBGMはラジオに任せるのが良い。
自分のかけたい曲を流すと、その自分の思いが重いのだ。
ときに、そこに自分の感情を乗せたり、意味を求めようとしてしまう。
それが重い。

ラジオは受け身だ。
そこで「ザケンナヨ!」と絶叫したくなるような音楽が流れても、それがちょっと面白かったり刺激になったりもする。
自分の選曲だと、その“オレがオレがオレ様が感”がくたびれるのだ。

で、今パラパラと捲っている本は川勝正幸さんの『ポップ中毒者の手記(約10年分)』だ。
我ながらまたしても“今更感” 満載なのだが、今読むべき本な気がしてならないので手に取った。
カッコよく言えば、閃き(インスピレーション)に従った上でのナイスチョイスなのだが、実際はただの気まぐれ、ただの思いつきで読んでみるべとなっただけである。

でもまぁ、タイミングってあるよね。
まさに今だなって瞬間が。
その瞬間に乗れたときが気持ちいいのよね。

余談だが、ジプシーキングスの『inspiration』は超名曲である。

股旅。

ちょっとの変化が己を活かす

私は人様の髪を切り、その散髪料を糧にするという仕事を生業にしている。

仕事用シューズを替えた。
この十数年、取っ替え引っ替え愛用し続けていまadidas campus からPRO-Keds へと華麗にチェンジ。
たまにはこういう変化もいいよねーと一人ほくそ笑んでいる。

二十数年前、何足かPRO-Keds を使った。
デザインがシンプルで履き心地良し。
色のバランスもフィルソグー。
何しろその安さが魅力だった。

ふと私のスマートフォンのタイムラインにPRO-Keds の広告が表示されるようになり、変わらぬデザインと色合いに「いいね〜!」と心が湧き立ち、ポチッとクリックして愕然とした。
あの安さが魅力だったPRO-Keds が2倍くらいの値段になっていたのだ。

こりゃ迂闊に手を出せないぜと世の中の節操の無い価格高騰にツバを吐きかけて……飲み込んだ。
あゝ無情である。
ジャンバルジャン。

と落ち込んでいたら、何気なく立ち寄ったリサイクルショップに未使用のPRO-Kedsがあったのだから世界は奇蹟に満ちている。
しかも、二十数年前の価格より安いと来たもんだ。
カラーも良い。

ってことで一瞬の迷いもなくゲットした。
履き心地も相変わらず良し。
履いてる感じも良し。
これがあれか。
エモいってやつなんだな。
古語で言えば「いとをかし」ってヤツだな、きっと。

さりげない変化が己を活かす瞬間があるよな〜とあらためて嘆息したのであった。

さて、キリンジでも流して開店だ。

股旅。

文字の奇蹟

私は人様の髪を切り、その散髪料を糧にするという仕事を生業にしている。

ここんところ“あんまり本が読めないんだよねモード” だったのだが、少しずつまた読めるようになってきたようだ。
何がどう作用して、読める読めないとアップダウンするのか我ながらとんとわからないのだが、なんだかそういう“流れ” が生活の中にある……気がする。

ヘビーを担うのは小説。
何でまたそんな……と妻さんを閉口させるようなタイトルのものを読んでいるのだが、自分的にはいやいやそこまでダークじゃないっしょ!
と思っているところが痛い。

ライトを担うのは随筆、またの名をエッセイ。
息抜きたいときにパラパラと読むのが好きだ。
そんで、そのエッセいで紹介されている本の中で「これいいかも!」とビビっと来まくったものを読んでみる。
これが楽しい。
“本の数珠つなぎ” とこっそり名付けてもみた。
繋がっていく感じがなんだかググッと来るのである。

マンガはまた別だ。
マンガは読書ではない。
漫読だ。
全く違う脳の領域を使って楽しんでいる。

で、その漫画の中にまた魂を揺さぶる言葉があったりするから侮れない。
字だけじゃこうはいかない。
絵とストーリーと相まってもの凄いパワーを解き放ったりするからたまらない。

毎週、オンエアを楽しみにしているアニメ『チ。-地球の運動について』も原作はマンガだ。
これがもう気絶しそうなくらいから面白いから困ったものである。

文字の奇蹟について語られた場面には震えが来るくらい興奮した。

『本当に文字は凄いんです。
アレが使えると時間と場所を超越できる。
200年前の情報に涙が流れることも、2000年前の噂話で笑うこともある。
そんなの信じられますか?

私たちの人生はどうしようもなくこの時代に閉じ込められてる。
だけど、 文字を読む時だけは かつていた偉人たちが私に向かって口を開いてくれる。
その一瞬この世界から抜け出せる。
文字になった思考はこの世に残って、 ずっと未来の誰かを動かすことだってある。

そんなの…まるで、奇蹟じゃないですか ……』

ヤバい。
書いてて泣きそうになった。
そんな自分がキモい。
でも、エモい。

ホント奇蹟だよな。
これを読んで初めて気付かされたよ。
奇蹟なんだよな。

股旅

やっとわかることがある

私は人様の髪を切り、その散髪料を糧にするという仕事を生業にしている。

気まぐれに日々の思いをネット上に認めたりしてるのだが、それも近頃は疎かにしがちになっている。かつてはほぼ毎日更新してたのに、あの情熱は何処に消え去ってしまったのだろうか。

飽きたのか。それとも疲れたのか。はたまた、さりげなく心が成長したからだろうか。

その答えは風の中である。

晩秋ってことで、例年通りニール・ヤングがヘビーローテーションになっている我が理髪店。誰もがニールヤンガーになりやすい時節なのだろう。ラジオを入れれば、あの名曲「Heart Of Gold」が聴こえてくることが多くなってきた。

店内BGMとしても、お客さんからの反応は上々だ。

なんか良いっすね……二十代の若者すら、うっすらニールヤンガーにさせてしまうんだもの。みつを。

10年くらい前、大槻ケンヂさんの対談本か何かを読んで、その対談相手の中の一人が「四十過ぎて自分のことを考えるのに飽きた……」みたいなことを言ってたのを、四十代になったばかりは「そんなもんなのかね〜」と全く感ずるものが無かったのだが、今来てるよ。

五十三歳になった今、今更「それそれ、その感じ!」と実感しまくっている。

でも、その感じが良いのである。凄く気持ちいい。

誰かが「50代にもなると真顔で息を吸ってるだけでパワハラになってしまうから……」と言っていたから、それは気をつけたいと思う。

いつも静かに笑っていたい。キューブリックの傑作『フルメタル・ジャケット』に出てくる微笑みデブみたいな感じでね。

股旅。

時代はまわる

二十年間、苦楽を共にしたタオルスチーマーとバイバイした。

さすがにもうダメかなと思ったのは数ヶ月前。
だましだまし使いながら、ネットで同じ物を探したのだが見つけられなかった。
色もデザインも気に入っていたのだが、やはり二十年前の製品だからだろうね。

トホホと途方に暮れる中、私の悩みを聞いてくれた同業者の友人から有り難きお言葉を頂戴した。

「違うタイプのだけど、ほとんど使ってないのが倉庫にあるからいる?」

「マジっすか!」

彼が営む店的に、もうちょい大きめのが良かったらしく、今後使うこともなさそうだから……とのことで破格の値段で譲ってもらった。
これがまたシンプルでイカつくて、私好みにジャストフィットだったのだからベリーラッキーである。

一昨日届いて、昨日設置して試運転して、さっきバシッとステッカーを貼った。
先代とは二十年の付き合い。
コイツとは何年付き合えるかしらん。

ボロボロになっていた先代は写真に撮らず、事業用廃棄物として引き取ってもらった。
よく働いてくれたな。ありがとう。
ハサミとかカット椅子に隠れた地味な存在かもだけど、タオルスチーマーは我々理髪師にとってはとても大切な相棒なのである。

なんだかちょっとしみじみしちゃうが、早く新型の実力を見てみたいってのも本音である。

別れと出逢いをくり返し時代はまわるね。

股旅。