何かが変わりそうで眠れない夜

つい先日更地にされた広い土地が近所にある。

きっと分譲されて、家が何軒か建つんだろうなと思ってたら、今日幾人かの市職員が来て重機で土を掘り起こしていた。

これはアレだ。

昨年、我が家の近くで縄文時代の遺構が出土したのだが、ここでもまた出るかもってことで調査しているのだろう。

ここ最近、我が家周辺は開発する際に遺構調査が義務づけられていると聞いたからね。

うちを建てた10年前には、そんな決まりはなかったのか。
それとも、既に調査が終わってたのかもしれないが、この辺りに縄文人が生活してたのは確かだし、もしかしたら我が家の下にも何かが埋まっているのかもしんまい。

一、二万年前、ここに人々の営みがあったのか……
嗚呼、ロマンチックでスペクタクル。

と言うことはだ。

ここはきっと安全な場所なのだろう。
そんな昔の遺構がちょっと掘れば出てくるっつーことは、大きな地盤の揺れがなかったってことか。

大雨を降らせる雨雲、雪を降らせる雪雲も、ここをちょっと避けてくれてる感がある。
狭山丘陵の恵みなのかしらん。
ヘビもよく遭遇するしね。
(蛇は臆病だから安全な地を好むらしい)
そりゃトトロもいるよねってわけである。

以上! 

ありがとうございます

2025年 6月16日

本日、爆発的にさりげなく DOODLIN’ BARBER SHOP は、所沢市三ヶ島に移転してジャスト10年となりました。

これもひとえに、お客様方 & 大切な友人たち & 家族のお力添えのおかげと、海よりも深く感謝しております
ありがとうございます!

今後ともご支援とご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

DOODLIN’ BARBER SHOP 店主 高崎哲平 拝

タイミング

開店から21年間 愛用してきた仕事用のワゴンがとうとう壊れてしまいました。

数ヶ月前にはタオルスチーマーが、つい先週にはトリマーがゴートゥーヘヴン。
こういうのって何故だか重なるし続きますよね。

で、このレッドワゴンを新調したわけですが、これがすこぶる良い。
その存在感が好き。
良い買い物をさせていただきました。

と同時に、奥にしまってたヘミングウェイのポスターも飾ってみました。
さらにレコードプレイヤーを照らしていたエジソンバルブの照明もカムバック。
うむ、いい感じ。

きっと、しまっていた間に熟成されたのではないだろうか。
林先生は「いつやる?今でしょ!」と叫びましたが、私は逆もまたあると思うのです。

「いつやる?今じゃないでしょ!」

この見極めも出来たら、より良い人生になるのでは?と思うのです。

息子にせがまれて抽選に応募していた FOO FIGHTERS @ さいたまスーパーアリーナの来日公演チケット。
今さっき、当選の連絡をいただき身が引き締まる思いに包まれております。

息子は初めての大箱LIVE。
私にとっても、かなり久しぶりのLIVEになるので、今からちょっと緊張しております。

股旅。

デラシネとハガクレ

「デラシネ」と「ハガクレ」。

どちらも思春期の頃に初めて出逢って以来、何故か何故だか惹きつけられてしまう言葉なのです。

その意味は、まぁ置いといて、その語感 & その響きにキュンとなる。
もしかしたら意味なんてなくても良いくらいだから面白い。

デラシネ、それは元々はフランス語で物理的に根を引き抜かれた「植物や木」のこと。

つまり「根無し草」。
それを人間に置き換え、社会や文化的な根から切り離された「人」という意味だそうだ。
例えば異国や新しい環境で暮らす移民や放浪者みたいな方々に対して使われる。

うむ。
響きだけでなく意味にもキュンと来るな。

ハガクレ、それは 木の葉や草木のかげになって見えなくなること。

漢字にすると「葉隠」。
これは武士道における心のあり方を説いた書物から由来するもので「死を恐れずに生を全うし、自分の役割を果たすこと、そして、忠義、忍耐、誠実さ、自制心などの徳を大切にすること」を意味しているそうだ。

うむ、こちらもグッと来る。

響きに惹かれる言葉は得てして、その意味においてもハッとしてグッと来るのは何故だろう何故かしら。
二十年前の自分だったら「なんでなんで?どうしてどうして?」と、そこに明確な「答え」を求めただろう。

でも、今の自分はそれをしない。
それをしなくても良いことに気づいたからだ。
それは全然無駄ではないし、むしろ若い頃はどんどん探究するべきだし、それをサボってはいかんざき。

意味は後からついてくる。
振り返れば、そこに意味がある。

もしカフェをやるとしたら屋号は「デラシネ」。
飲み屋をやるなら「ハガクレ」だな。
まずやらないけど。

では股旅。

それなら充分

近頃、どうにも本が読めていない。
読みたい本がたくさんあるのに本が読めない症候群に陥っている。

理由は明白で、何しろ映画やらドラマが面白くてしょうがないからだ。
「映像を観る」から「文字を追う」。
このスイッチの切り替えが難しい。
かつ自分の中の“感じる心”のキャパシティが狭くなっているのも痛感している。

いつかナイスなタイミングで切り替えが出来たらと願っている。
読みたい本、読まなきゃならない本はたまる一方なわけで、この好奇心の旺盛さは自賛したいところだが、まぁバランスをとっていくしかないのよね。

音楽は聴けている。
まったく最近の音楽は……だなんて、隙あらば言いがちになってしまうポンコツだが、要は自分が知らないだけなのよね。

THE LUMINEERS の新譜なんて最高だもんな。
VULFPECKの新譜もいい。
聴かず嫌いなだけだった Vampire Weekend もサブスクのおかげでどっぷりとハマるくらい好きになった。

リリースから20年の時を経て初アナログ化された松永孝義さんのアルバムもたまらなく良い感じ。
そう言えば、松永孝義さんが亡くなられたのって確か54歳だったのよね。
順調に行けば、私もあと一ヶ月半で54歳になるわけで、なんだか愛聴すべきタイミングだったのかもしんまい。

本は読めてないけども、映画 & ドラマ(今は『ゼロデイ』)は観られているし音楽も聴けている……

それなら充分じゃないか!?

と思うようにしよう。
欲は張らないでいこう。

股旅。