価格改定のお知らせ

親愛なるお客様方々

平素よりDOODLIN’ BARBER SHOP をご愛顧いただきありがとうございます。

2024年10月で開店20周年を迎えさせていただくDOODLIN’ BARBER SHOPは、開店時より消費税の変動による若干の値上げはしたものの、出来る限りの価格の維持に勤めて参りました。

が、しかし、この世知辛い世の中。

私も五十路に突入し、あらゆる方面の値上げ、価格上昇の渦の中、いよいよ現行価格でのサービスのご提供が難しくなってきました。

日頃よりご愛顧いただいておりますお客様の方々には、大変なご迷惑をおかけいたしますが、施術の価格を2024年4月1日より一律10%引き上げさせていただくことになりました。

カット&シェービング 5000円→5500円

カット+カラー 9000円〜→9900円〜

カット+パーマ 10000円〜→11000円〜

以上はメインメニューの例ですが、その他キッズ料金や学生料金、二週間&三週間インターバルの割引料金も同様に10%の値上げをさせていただきます。

今後とも皆様にご満足いただけるよう、技術の向上に勤めて参ります所存ですので、諸事情を御賢察の上、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

重ね重ねになりますが、今後もDOODLIN’ BARBER SHOPをよろしくお願いいたします。

DOODLIN’ BARBER SHOP 店主  高崎哲平 拝

そういうテンション

小5息子と “プラモデルあるある” について語り合った。

「組み立て中、左右、上下、中か外かで迷ったとき……迷いに迷った果ての選択が必ず間違っているんだよね〜」

と私が言ったら、くぅ〜スゲーわかる!と息子。

「パーツを落としたとき、こっちに落ちたはずと探しても全然なくて、まさかそっちじゃないよな〜ってところに落ちてるよね!」

と息子。
わかる、わかるぜ、息子よ。

ん?待てよ。
これって人生にも当てはまらないか?
プラモデルから、人生が見えてくることが時々あるよね。
いや、無いか。

最近どっぷりハマってヘビーローテーションなのが、NEKOSOGI 。
あのローホーが金子巧(Key / Cro-magnon)、EIJI(Ba / Dachambo)、三根星太郎(Gt / INUSHIKI)、佐久麻誠一(Dr / digda)ちゅう強烈なメンバーを揃えて組んだスーパーバンド。
最高なのは言うまでも無いわけである。

かつ、なんだか今の自分のハート&ソウルにピッタしハマる感じなのだ。
こういうテンションを求めているのだろうなと思う。
どんなテンション?
なんかこう、くだらない小さな悩みとかをぶっ飛ばす、かと言ってバカそうではなく知的な感じといえば……わかってもらえるわけがないことはわかっている。

本も読めている。
しばらく本棚に未読のまま並べられている一群の中から、『邂逅の森』(熊谷達也著)をナイスチョイス。
これまた、今の自分にジャストフィットスムーズインな空気感でたまらなく面白い。
舞台は大正から昭和初期にかけての東北秋田。
主人公はマタギ。
その波乱の人生の物語である。
何がどう、今の自分に響いているのか皆目わからんチンなのだが、こういう別角度の死角から喰らうフックがビビッと効くのよね。
なんのこっちゃ。

ともあれ NEKOSOGI 最高!

その世界には終わりがない

鳥山明先生が逝ってしまいました。

あまり言ったことないですが、実は『Dr.スランプ』のコミックを全巻持っていました。
アニメも観てました。
リブギゴやキャラメルマン1号のプラモデルも作りましたよ。
あのカッコよくも可愛らしい独特の鳥山ワールドに少年テッペーは魅せられまくってましたね。
つまりファンだったのです。
確か私が中一の夏に連載が終了しまして、それからすぐに『ドラゴンボール』が始まったのですが、確か、フリーザが登場する頃くらいまでで読まなくなってしまいました。
(ドラクエもそこまでやり込んではおりません)

こんなものは子どものもんだぜ……ふふふ

だなんて思いがそこにあったんでしょうね。きっと。
同じパターンで、私は、プロレスを観るのをやめてしまい、機動戦士ガンダムシリーズも観なくなったんです。
今となっては勿体無いことをしたと後悔しております。
追いかけ続けてたら、それぞれのジャンルで生粋のオタク者になれてたんじゃないか?どう?
そのチャンスを自ら逃したと思うと激しく悔やまれます。
痛いヤツです。

で、今の私。

少年時代以来のマイ プラモデルブーム & ムーブメントに支配されているわけでして。
鳥山明先生はプラモデルの実力も天才的でプロ中のプロなわけで、そりゃもう憧れてるわけです。
だから、行きつけのプラモ屋で鳥山明プロデュースのキットを見つけたときは大興奮しましたよ。
相変わらずのそのデザイン、その世界観、ナイスミドルテッペーが少年テッペーに瞬く間に戻れるわけです。
(ちなみにダフトパンクの名作アルバム『Discovery』は、彼らが少年時代に夢中になった世界を描いたものらしいですね。どうりで好きなわけです。共感の嵐しかないですもの)

このパッケージ、たまらないですな。
鳥山先生が描き下ろした解説も素晴らしい。

私が知っている範囲で、今後も私は鳥山明ワールドを堪能しようと思います。
もう掘らないし、広げない。
手が届く、心が追いつくものに触れていきます。
それがいいし、それでいい。
あらためまして、鳥山明先生ありがとうございます。

合掌。

この世で一番カッコいいのは……

今さっき読み終えた本の中にあった一節

「この世で一番カッコいいのはリラックスしてる人ですよ……」

が何故か何故だか響きまくっている。
何がどうなってこんなにも響くのかわからないのだけれども、これは最早私の人生における「福音」や「啓示」レベルの言葉だったのではないか……ちょっと大袈裟か?いや、そのくらいだよ!ってなくらいの響き具合なのである。

この言葉を発した主人公はこうとも言う。

「この世の中で一番大切なのはリラックスできてること……」

なんだか、私なんかがこの一文たちだけをピックアップすると、ただただ独り善がりの強烈に気持ち悪いものになってしまうかもだけど、何しろ響いちゃったんだから仕方がない。

リラックス、それ大切。

「RELAXIN’」ってタイトルのアルバムを出したマイルス・デイビスもハイロウズも、その大切さに気づいたからタイトルにしたんだろうな。
私も もし万が一、二号店を出すなんて奇跡が起きたとしたら『RELAXIN’ BARBER SHOP』って店名にしてしまうだろうな。
多分きっと。

そうそう。
このまま順調に行けば今年の十月に我がDOODLIN’ BARBER SHOP はめでたく二十周年を迎えるわけである。
迎えるにあたって、目標というか合言葉というか、こうありたいというかって感じのキーワードが浮かんだのだ。

Goin’ Down Slow

良いでしょ。
ゆっくり下って行く……
凄く良い。
いろいろなことに相応しいワード。
そして、それはさっき書いた「リラックス」にも繋がる。
数年前、コロナ禍の真っ只中で掲げた『GO SLOWLY』にも繋がる。
これしかないと思った。

この Goin’ Down Slow をテーマに、バッヂやTシャツやステッカーも作ろう。
この先はゆっくりゆっくり降って行くのだ。
それは全然ネガティブなんかじゃなく。
むしろ猛烈にポジティブで、でもベリー最高にちょうど良く脱力してる感じ。
最高だわ。

ちなみに、この『Goin’ Down Slow』は、
大好きなトム・ウェイツの大好きな曲のタイトルから拝借した。
いろいろぐるぐる回って、やっぱりトム・ウェイツ。
今こそトム・ウェイツ。
十九歳の頃からずっと好きなトム・ウェイツなのである。

人生をベリーイージーに。
やはり股旅。

old man’s wisdom

久しぶりに息子が作ったマスクを着用してみた。
これを装着すると何故だか気持ちが高揚する。
不思議な力を持つマスクである。

で、この私が掲げているレコードは“CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN” の1stアルバム『tradition』。
最近どっぷり聴いている傑作である。

相変わらず息子は日々創作に励んでいる。
それは絵だったり、アニメ制作アプリだったり、プラモデルだったりで、彼の創作意欲はとどまるところを知らないようだ。

例えばプラモデルの組立説明書。
そこに30の工程が記されているとする。
そこで私だと「んーまぁ今日は5までやるかー」って感じに収まるのだが、息子は違う。
30まで一気に駆け抜けるのだ。
つまり「飽きない」のである。

私は飽きることを怖がっている。
いいな〜と思える曲と出会えたとしよう。
何回もリプレイして聴くのだが、飽きる寸前のところでセーブしてしまう。
でも、息子は違う。
うんざりするほど同じ音楽を聴き続け、しかも飽きないのだ。
超人である。

これは子ども特有のパワーなのだろうか。
かつてのチャイルドテッペーはどうだったろうか。
セーブせずに駆け抜けていただろうか。
うむ、覚えてないぞ。

息子がプラモデルにハマり始めて二年弱。
三、四年後には「お父さん、下手くそだなぁケロケロ」と呆れられるだろうな〜なんてジョークを言っていたのだが、それはもう現実になろうとしている。

息子は失敗を恐れない。
雑誌やネットで仕入れた技術をすぐさま取り入れてチャレンジする。
そりゃもちろん失敗も多々あるのだが、それで挫けないガッツがある。

私にはない。
何しろ失敗が怖い。
失敗して、自分の実力と技術のなさを痛感したくないのだ。
出来る範囲でゆっくりゆっくり自分のタイミングで、爆発的にさりげなく、こっそりチャレンジしている。
情け無く感じもするが、良い言い方すれば、これが「年の功」なのである。
多分きっと。

先日読み始めた本。
どうしても物語に入って行けず、途中で断念した。
こうなることは滅多にないから驚いている。
サラッと読むのを諦めた自分にだ。

でも、これからこういうパターンは増えて行きそうだ。
ん?と感じたらさっさと次へGO。
これもまた「年の功」のなせる技なのでは?
いや、違うか。