先日、テレビをぼんやり眺めていたら、仏師 運慶の様々な天才エピソードを紹介してて、中でも東大寺南大門金剛力士が阿吽像それぞれ3000に及ぶパーツで形成されていて、その設計図は運慶の頭の中にあったなんて話には大いに戦慄した。
やはり畏怖心を抱かせるぐらいのものでないと『天才』と称してはいかんなと思った。
四歳十ヶ月になるマイサンが大好きな映画『レゴバットマン ザ・ムービー』のスピード感が尋常じゃない。
息子の未来は、こんなスピード感の中で展開するのかもなとまたまた大いに戦慄した。
傑作名作と言われる半世紀前の日本映画を観ても「しかしまあゆっくりだな〜」と退屈してしまう自分に落ち込んでいたが、来たるべく息子の世代にはもう止まって見えるんじゃないかと危惧してしまう。
こんなことを書いてたら、真心ブラザーズの『スピード』が聴きたくなってしまうのはもうしょうがない。
二十数年前、この曲をアホみたいに聴きまくっていた頃は、この曲の歌詞
♪オレのスピードはグングン速くなる ボーッとしているお前の人生の十倍♪
に大いに共鳴し、これからの俺たちの時代のスピード感はハンパないぜと鼻息を荒くしていたもんだが、今度は自分が置いていかれる立場になるんだなと思うと嘆息が止まらない。
やはり時代は廻るのだね。
喜び悲しみ繰り返して。
時代は廻ると云えばだ。
いつまでも若手気分ではいられないのだなと今更やっと痛感している。
いつの間にやら、私も床屋キャリアが二十年をとうに超えた。
中堅、否、下手したらベテランとも言われかねない領域に突入したのかもしんまい。
バーバーバトル!そんなのあるんだ!
とちょっと興奮してみたのだが、出場者なんてもってのほか、私の年齢は今や審査する側なのである。
いや、でもそこで敢えて!と出場してみるのも粋ではあるが、例えば奇跡的に優勝出来たとしても、見苦しいぐらいの惨敗をしたとしても、どっちにしても痛々しいことこの上ないのである。
年相応の相応しい言動、佇まい、着こなし、生き様、エトセトラ。
これらを慎重に適切に見極めて歩いていきたいものである。