とても素敵な一文だったので是非とも一読を。
こういう場所に出来たらな、こういう床屋になれたらなと思う。
自分の仕事を誇りに思える……
この一文に床屋のすべてが書かれている……
そんな良文です。
『二週間に一度の身だしなみ』
「さわりたくなる、いい髪型ですね」、はじめて会った女性にこう言われてどきっとした。
「どうってことのないただの七三です……」と照れながら答えた。
「とても清潔感があります」と女性は静かに微笑んだ。
心の中で僕は、「さすが米倉さん」とつぶやいた。
ほめられているのは僕ではなく、僕の髪を切ってくれている理容師の米倉満さんの仕事であると知っているからだ。
100年の歴史を持つ、銀座の『理容米倉』で髪を切ってもらうようになって十年ほど経つ。
最近になって、米倉さんは引退されて、僕の髪は同店の大嶋昭格さんに引き継がれた。
二週間に一度、髪を切っている。
人にそう言うと「大変ですね」と言われる。
「髪は伸びる前と、人に会う前に、さっぱりきれいに切れ」と父に言われて育ち、幼い頃から床屋という場所が大好き。
今でも暇さえあれば床屋に行きたい僕である。
大変だなんて一度も思ったことはない。
小学生に上がった日、「これからは一人で床屋に行きなさい」と父に言われ、通っていた銭湯の目の前にあった老夫婦が営む床屋に行くようになった。
床屋に行く日は二週間置きの日曜日だ。
必ず朝一番に行くというのも父の教えだった。
そのために早起きして、床屋の開店を待って入るのは習慣だった。
何より嬉しかったのは、「こちらにどうぞ」「これでいかがでしょう」「首はきつくないですか?」なんて、子どもの自分が、床屋では大人扱いされることだった。
髪型はいつもスポーツ刈りだった。
ある日、前髪を長くしている大人に憧れて、「前髪を長くしてください」と言うと、髪型は父と取り決めていたのだろう、「大人になってからにしましょう。短いほうがかっこいいですよ」と床屋のおじさんに諭された。
大人になった今、僕の髪型は短めの七三刈りだ。
この髪型は通い始めの頃に米倉さんが作ってくれたもので、二三度の試行錯誤があった。
映画『ゲッタウェイ』のスティーブ・マックィーンの髪型が好きで、ある日のこと、それを米倉さんに伝えたら、「はい、いいですね、考えてみましょう」と取り組んでくれた。
髪の質、髪の量、生え方、頭のかたち、顔のあれこれ、髪を切る周期などをよく知った上で、その人に一番似合う、もっとも自然な髪型に仕上げるのが、理容師の仕事であると米倉さんは言った。
それを聞いた時、マックィーンみたいになんて言ってしまった自分が恥ずかしくなった。
「もっとすてきにしましょう」と米倉さんは言って、僕の髪に櫛を入れ、はさみを動かした。
髪型というのは正面からの見た目と、横からの見た目と、後ろからの見た目、または斜めからの見た目などすべての方向から見て、バランスよく、きれいでなくてはならない。
本人としては、どうしても正面からの見た目にこだわるが、後ろと横からの見た目のほうが大切。
自分では見えない角度だからこそ、と米倉さんは言った。
時折、米倉さんは、少し離れて見たり、しゃがんでしたから見たりと、あたかも石を彫る彫刻家のようにして僕の髪を整えていく。
そんなふうにして髪を切ってもらっている時、僕は目をつむっている。
そうして、ゆっくりとシャキンシャキンと聞こえる、髪を切るはさみの音を聞いている。
なんて心地いい音なんだろう、といつも思っている。
迷い無くリズミカルに動かされるはさみと、そこに手のように添えられる櫛の感覚。
その数十分のひとときに、僕の心は静かに癒されていく。
朝起きて、シャワーを浴び、ひげを剃り、タオルで髪を拭く。
ドライヤーは使わない。
「つむじの場所がここだから、分け目はこのくらいの位置が一番きれいです」
と大嶋さんから教わったように櫛を入れる。
それだけだとビシッとし過ぎるので、手ぐしを入れて髪の身だしなみは終わり。
とても楽で、それでいてきちんとまとまり、自然であるのが嬉しい。
髪を切るのは、人に会うためのマナーであり身だしなみのひとつでもある。
いつ誰と会っても失礼のないように、いつも同じ長さの髪型で、簡単な手入れできちんと整っているのがいい。
だからこそ、髪型や髪の長さを気にしなくていい状態が保たれていることの気楽さは言うまでもない。
個人的には、ひとつも主張せず、どちらかというと地味な短めで、どんな服装にも合う、シンプルな髪型で痛いと思っている。
いつ会っても、同じ髪型で、同じ長さで、同じ雰囲気で、短くもなく長くもなく、清潔感があるというような。
どんなに忙しくても、二週間に一度、床屋で髪を切る時間だけは決して削らない。
身だしなみを整えるだけでなく、仕事からすっと離れて一人になり、きっちり一時間半、自分を思い切りリラックスさせるためでもある。
忘れてはならない床屋の楽しみには床屋談義がある。
小さな社交場でもある『理容米倉』の大嶋さんに髪を切ってもらいながら、銀座という街の移り変わりを語り合い、おいしい店や新しい店の情報を教え合い、ときに愚痴や弱音を聞いてもらったりというのも床屋ならではのこと。
床屋の椅子に座った途端、思わず「フー」とため息が出てしまうことがある。
「おつかれですね」と優しく言葉をかけていただき、「はい」と答える。
「すっきりさっぱりさせて元気にしましょう」と励まされ、僕は「お願いします」と言って目をつむる。
何も言わなくても、いつもと同じ長さで、いつもと同じ髪型に仕上げてくれる安心感は何ものにも代えがたい。
髪を切ると、何か他の不必要なものも切ってもらえるような気がしてならない。
髪をきれいに整え、床屋を出ると、僕はとびきり元気になっている。
誰に会おうとも気負いすることなく、また二週間がんばるぞと、にっこり笑顔でつぶやく
松浦弥太郎