人間はもう終わりだ……
そう真心ブラザーズが歌ってから二十年ぐらい経ったか。
でも、こう歌ってはいるけど、でも終わりじゃないよね?終わらせないよね?
って意味なのだと僕は受け止めている。
ネガティブと見せかけて、スーパーポジティブなものだと思っている。
別にこれが正解だと思っているわけではない。
自分はそう受け止めているって話だ。
セックス・ピストルズが “ノーフューチャー!” と歌っても、それを額面通り受け止めはしない。
そこに「だからこそ!」の気持ちが入っていると僕は思っている。
これは誰かに教わったわけではない。
いつからかわからないけども、自分の中で勝手に自然に極めて普通の流れで、そうなっていったのだ。
僕のように受け止めない人がいるのも知っている。
それはそれでイイと思う。
僕は、なんかこう逆説的な感じが空気が雰囲気が好きなのだ。
ひねくれているってわけではない。
極々ストレートだ。
ストレート過ぎるぐらいにストレートにそうなのだ。
ぬ?
なんだか意味わからなくなってきたので、この話はヤメにする。
緊急事態宣言が出された今。
やけに ブラッドサースティ・ブッチャーズ が胸に響くのは何故なのだろう。
やけにズキュンと来るのである。
名盤「Kocorono」を繰り返し聴いていたら、あ、そういえば妻さんのCD棚に確かブッチャーズのアルバムがあったよな……と思い出し、妻に尋ねたら「一枚だけあるよ」とのこと。
見てみたら「△」というアルバムがあった。
結婚して十年、妻さんとブラッドサースティ・ブッチャーズ の話をしたことあったっけな?
多分ないな。
僕の中で、そのぐらいの距離間に在るバンド。
それがいきなり物凄く響くんだから面白い。
来るな〜来てるよ来てる。
もうね、胸が掻きむしられるぐらいにね。
今この現状で、ブラッドサースティ・ブッチャーズ が来まくっている人って世界にどれぐらいいるだろうか……
世界で自分ただ一人なんじゃないか……
そんな思いで聴いている。
これも “音楽” の力だ。
音楽のこういうところも好きだ。
根底にあるのは「だからこそ」な思い。
だからこそ、これがイイ。
そればっかりで生きて行けたら嬉しい。
股旅。