パーっと視界が開く、この感じ。

今年三月他界した音楽評論家の松村雄策さん最後のエッセイ集『僕の樹には誰もいない』が届いた。

亡くなる直前に書かれたものも収録されているそうで、この『僕の樹には誰もいない』というタイトルも、亡くなる二ヶ月前に「タイトルはもう決めてるんだぜ!」と電話で伝えられたもので、10代の頃から松村さんの文章に触れていた元テッペー少年としては、これは読んでおくべきなんじゃ?どう?

と思ったから、発売の情報を聞いたとき、すぐさま予約したのだ。

高校生のとき松村さんが描いた小説『苺畑の午前五時』を読み、自分が今青春の真っ只中にいることを自覚はしたのだが、まるで無駄で無為な日々を過ごすことしか出来てない自分に落ち込んだりしたんだった。

でも、今となってみれば、あれこそが青春の日々だったんだなぁと思う。
所詮自分は器用にサラっとスタイリッシュになんか生きられないのだということがわかったからである。
この “わかった” ってことが重要。

で、近頃「これからどう生きるべかな〜」なんて、鼻くそほじりながら嘆息ばかりしてたのだが、この本には何かヒントが載ってそうな予感がムンムンしている。

答えではない。
あくまでヒント。

これがミソ。

先日、自分より五つほど年長のお客さんと話してて、いきなりパーっと視界が広がったような気分になった。
そのお客さんが、自由気ままで、でもちゃんと責任も自覚してて、楽はせず、でも楽しむことを大切にしてて……

で、なんか話してたら急にビースティ・ボーイズのことを思い出してさ。

ああ、これだ!

って思ったの。
ああいう感じを目指せばいいんだって。
と言っても、全盛期じゃなくて、メンバーの一人が亡くなってしまった後、音楽活動休止してからのビースティだ。

残されたメンバーの年の重ね方を見て、ああこんな感じいいなぁと漠然と感じていたことが明瞭になったと言えば良いのか。

なんだか上手く言えなくてもどかしいのだが、まぁつまりそんな感じなのである。

で、それはとても幸福なことだと思っている。

では股旅

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