多分、人はそれを忘れない

相変わらず、時間を見つけては散歩に繰り出している。

道中、カブトムシやクワガタが捕れそうな樹をチェックするのがクセになってて、昆虫採集にシーズンインした今、あちこちでその黒光する勇姿を見かけるのだが私は捕らない。
近づいてゆっくり眺めた後、溢れ出る樹液の匂いをクンカクンカしてから立ち去るのだ。

小6となった息子は昆虫に対する興味を急速に失ってしまったようだ。
私が採って帰っても、あんまり喜んではくれないだろうと予想がつく。

思い返せば私もそうだった。
夢中だったはずのものが、いつの間にか興味の対象外になっていた。
興味を失うきっかけが何かすらわからず、わかろうともしなかった。
で、新しく情熱を注げるものを見つけ夢中になる。
多分、人はそれを“成長”と呼ぶのだろう。

でも、それを忘れることはないのだね。
息子と昆虫採集した日々は楽しかった。
私が幼少時に感じた感動や興奮が瞬く間に蘇った。
プラモデル作りもそうだ。
模型屋さんでいくつものキットの中から、次は何を作ろうかなと吟味しているとき、せっせと作っているとき、私の隣には息子とまだ子どもだったリトルテッペーがいつもいる。
それが嬉しいし楽しい。

夢中になったことは忘れない。
どこかにそっと隠れているだけで、いつでもきっかけがあれば飛び出してくる。
これはきっと人生の宝物なんだろう。
夢中になれることは一つでも多い方がいい。

そんなことをぼんやり思う土曜日の朝なのである。
土日は猛烈に忙しいのが定番。
ご予約をお断りしてしまうことも多くて申し訳ありません。
ウソのようにのんびりな平日があったりして、幾つになってもそのバランスが上手くとれない床屋のオッサン。
それが私です。

股旅。

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