ぼんやりとバスキアがどうバスキアになって行ったかを追ったドキュメントを観ていて「へ〜ほ〜」と感心したのが、彼が何気なく書いたアルファベットの格好良さだった。
誰かが「字を書く行為、それがすでに描くことなのだ……」なんてことを言っていたが、これこそがまさにそれなんだなと思った。振り返って、自分が書いている「字」を思うと、それはもう酷い。デザインの一欠片もないことを痛感する。
モノを作る人、何かを表現する人(どちらも一流のね)は、常日頃の何気ないことも「創作」しているのだろうなと嘆息したんだった。
息子が言うには、どうやら言葉には「チクチク言葉」と「ふわふわ言葉」というのがあるらしい。その音イメージ通り、「チクチク言葉」は良くない言葉で「ふわふわ言葉」はその逆のようだ。
私が何気なく発した言葉が「チクチク言葉」だったりすると、即座に注意される。で「どんな言葉がチクチク言葉なの?」と訊いてみたら、なるほどそれは確かに心がチクチクさせられるなと感心させられた。と、同時に「出来る限り使わないようにしたいもんだぜ」と思った。と、さらに同時に「だからと言って『ふわふわ言葉』ばかりの世の中になっても、それはそれでなんだか居心地悪いぜ」とも思った。
さて。昨今の世の中を俯瞰で眺めてみると、気をつけないとすぐに「チクチク言葉」に埋め尽くされてしまいそうな空気感がある。気を抜いたらチラリと湧いて来やがる。
息子に「ほらまたチクチク言葉だよ!」と注意されないよう気をつけたい。
発する言葉も「創作」しよう。