今、聴くべき音

つい先日リリースされた坂本龍一さんのニューアルバム。

アナログのUS盤が四月末日に発売するらしく、それが五月二日から四日の間に届くとあったので、迷わず予約しました。

このまま調子良ければ、五月四日に五十二歳になりそうな勢いなので、誕生日にこういう作品が届くっつーのも粋じゃない?
と思ったのでオーダーしたのです。

今、さらりと試聴しているのですが、その半端なく美しい旋律に魂が震え始めてます。。
坂本龍一さんが政治的発言をするところとか、僕的にはあまり歓迎してなくて、出来たら「音」で伝えてほしいな〜だなんて生意気なこと思っている青二才な床屋。
それが僕です。

で、この「音」。
ちゃんと聴かなきゃなと背筋を伸ばしてます。
今、流れるべき音、聴くべき音だと思うので。

タイトルなし

『細かいことを考えて悩むことがいかに無意味かっていうことは、多くの音楽が表現してるよ……』

って誰かが言ってたけども、ドライブしながら “Theピーズ” なんかを聴いているとホントその通りだよな〜としみじみが止まらなくなるのです。

私はちょいとネガティブな事象が身辺で起こったときに、パンクロックを爆音で聴きたくなるんだけども、これは「ザケンナヨ!」って怒りや不満を増幅させるためではなくて、「全然大したことねーし!」って心地良くない感情を解放するためなんですよね。

The ピーズ を聴いていると、思わず笑っちゃって「しょうもな!」って脳ミソがファファ〜ンって楽になって力が抜けるの。
それが、たまらなく気持ち良くてですね。
こういう音楽の聴き方、使い方があってのもいいんだよな〜って思えたんです。
そこには感謝の気持ちしかありませんよ。

The ピーズ を初めて聴いてから 30年くらいは経っていると思うんですけども、聴いている気持ちにあまり変化がないんですよね。
ってことは、これから30年経ってもあまり変わってないかも知れないじゃないですか。

そのとき、運が良ければ私も魅惑の80代に突入しているわけで、そのときも Theピーズ を聴いて「しょうもな!」ってゲラゲラ笑えたら、もうそれで勝ちな気がするんです。
何に勝ったか知らんですけども。

別にこういうのは、どんな音楽じゃなくてもいいんです。
敬愛する高田純次先輩が

オレが好きな言葉は『木も見ず、森も見ず』だよ

って言ってて、そのくだらなさに物凄く勇気と元気をいただきましたもの。

なんか、そういうものを探すってのがね。
人生の目標でも良いんじゃないかと。
そんな適当なことをぼんやり考えている月曜の昼間なのです。

股旅。

乗りかかった船

予約していたザ・クロマニヨンズの新譜『マウンテン バナナ』のLPレコードが届きました。

正直、ザ・ブルーハーツやTHE HIGH-LOWSのような熱情を持って聴くことは出来なくなってしまいましたが、ここまで来たら生涯お付き合いしたいと思いまして。

だって、14年前に忌野清志郎先輩が亡くなったときに、僕はもうあまり清志郎の曲を聴いてなくて、こんな自分がファン面して悲しむ資格なんてないんだと感じてしまいましてね。

何十年も前からずっとずっと好きで、一緒に歳を重ねて来て、そしてまだ現役で音楽を続けているアーティストなんてヒロトとマーシーしかいないんだもの。
胸を張ってファンだって言いたいじゃないですか。
だから、聴くんです。

で、やっぱり良いんだよね。
曲も音も声もメッセージもジャケットも全部良い。
しかも、聴いてると元気が出る。
勇気が湧く。
優しい気持ちにもなる。
そのしょうもなさ、くだらなさが笑える。
思春期の頃から、ずっと自分にそんな影響を与えてくれる人(ミュージシャン)がいるって幸福なことだなぁと。

ありがとうございます♪

この流れを待っていた

しばらくぶりに読書モードに切り替わりそうなムードがプンプンしてきた。

とりわけ昭和四十年代以前を舞台にしたザラっとした手触でツンと鼻をかすめる臭いが漂うような人間ドラマが好みのようで、あまりの面白さに悲惨な情景が描かれているにも関わらず半笑いしている自分がいることに我ながら驚くのである。

一体何にそんなに自分が惹きつけられているのか……

わかるような、全くわからないような、こそばゆい気分だ。

現代社会では、蓋をされ隠されてしまった世界がそこにある。

のだが、ふと気がつくと、目を凝らしてよく見てみると、そこら辺にまだまだあるのを感じる心と肌をザワつかせる何か……そんなのが書かれている物語が好きだ。

ってココまで書いて、自分の言っていることの解りにくさに苦笑いせざるを得なくて、それもまたいとをかしなのである。

何にせよ、私にとって本が読めてるってのは良いことなのだ。
忘れ物を学校に取りに帰るような、そんな気持ちで読んでいる。

なんのこっちゃ。

知的に満足できる、気取った感じではない、心の糧になるような床屋を目指して

おはようございます。

我がDOODLIN’ BARBER SHOP は今日で仕事始めから三日目。
なかなか上々な滑り出しで仕事が出来ていることにググッと胸が引き締まる思いであります。
ありがとうございます。

家族三人での初詣でのおみくじでは、三人揃って大吉という奇跡がいきなり訪れまして。
しかし、私のには大吉のわりにはあまりいい事が書いてなくて「でもそれでも大吉だし〜ルルルラララ」などと呑気なことを言っているボンクラな私に「そういうときこそ気を引き締めないと」と妻さんはアドバイスをくれました。
これまた、ありがとうございます。

息子に描いてもらった似顔絵で、Tシャツを作ったのですが、これが期待していた以上に良い塩梅での力の抜け具合&佇まいで、とても気に入っているのです。
サイズ、色とも限られておりますが、まだちょっと残っておりますので、宜しかったら是非!

昨夜、Amazon の台頭で、街中の書店が軒並み縮小していくなか、アメリカの老舗書店『バーンズ&ノーブルが再び成長を遂げているという記事を読んだんです。

Amazonの真似をしてオンライン販売を強化し、独自の電子書籍リーダーを導入したり、売り場の大部分をおもちゃやグリーティングカード、カレンダーを売るために改装したり、カフェを設ける構想やレストランを始める計画を実行したけど、ことごとく失敗。

そんな中、ジェームス・ドーントというビジネスマンをCEOに迎え思い切った改革を断行しました。

ドーント氏は「本が高すぎるとは思わない」という理由から「価格競争が激しくても本の値引きをしない」という信条の持ち主を持ち、「2冊買うと1冊無料」というキャンペーンを「無料で提供することは、その本の価値を下げることになるから」とすべて止めました。

そして、店内のすべての棚から本を取り出し、その本を置いておくかどうかを判断するよう従業員に求め、「知的に満足できる、気取った感じではない、心の糧になるような書店」になることをイメージし最高の本をショーウィンドウに並べるように指示し、スタッフが自分の店をコントロールすることで、仕事をもっと楽しんでくれるようにという願いを込めて、その決定を店の従業員に任せたそうです。

これらの戦略によりバーンズ&ノーブルの書籍の売れ行きは再び伸び始め、読者は会社への信頼を取り戻し、店員もやる気を取り戻していったとのこと。

私は床屋ですが、ココに床屋として持つべき心構えのヒントがあるような気がするんです。
自分が、この店が「何を売る」のか。
そこをもう一度考え直してみようぜ!って思ったんです。
さすればそこから、この先に目指すべき道が見えてくるような、そんな気がするのです。

「知的に満足できる、気取った感じではない、心の糧になるような床屋」
これだなと。

こんな記事に年始早々出会えたことは、幸先良いスタートの証。
ちょいと気合い入れて声出して行こうぜ。

それでは股旅。

回りに溢れる愛に感謝します。

DOODLIN’ BARBER SHOP 店主 高崎哲平 拝